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2008年06月17日

オタクはもう死んでいる

10年後の岡田先生は得体の知れない何かにとまどっていました……

すげぇおおざっぱに纏めると、

「俺たちの世代はよく分かる。次の世代もまぁ分かる。でも萌えとかいってる若い奴らはわかんねーw」

って感じからスタートw最後はオタク文化の崩壊とそして伝説へw

まぁ文化の崩壊ってのも特に大袈裟でもなく感覚的に分かる。
最近の萌えとかそのへんに違和感持ちつつもやっとしている四捨五入して30くらい以上な人は一読してみると面白いかも知れないですよ。

細かくコメントしたいところはいくつかあるから書いていったら
こんなんTOPに貼ったら超KY的なチラ裏長文になったんで続きは詳細にしておきましたw
・アキバ王選手権
 ……多分、名前からして(俺もそう思ったけど)「総合オタク決定戦」みたいなのを期待されてたのでしょうけど、
 この種目を見ると「アキバ(という場所、地域)についてのオタク」決定戦みたいである意味名前通りというかw
 アニメ王とか漫画王とかのほうがきっと岡田さんの思っているようなツワモノに出会えたんだろうなと思う。
 これはなんかTVが悪い気がするな。最後は3次元女性じゃなく等身大フィギュアを着せ替えさせるべき。

・「ファンならなんでコンサート開かないの?」
 これは昔にどこかで同じ話を聞いたことが……まぁ、受け身気味なのは分かるというか。
 後のほうにもつながることだと思うのだけど、「自分が広める必要があんまり感じられない」というか、
 すでに広まっているものに乗っかっているのが普通の感覚というか、
 このあたり「俺たちが広めないと誰も知らねぇ!」という時代を生きてきた先達との意識のズレかなと思う。

・萌えオタの存在
 師曰く「あいつらひぐらしならゲームでも漫画でも何でもいいのかよ! わっかんねぇ!」って感じなんだけどなんというか、萌えオタという存在? が考えから抜けていると思う。
 萌えについては流石理解はしているような感じなんだけど、特定のメディアにかかわらず「萌えるもの」という対象に対するオタク趣味というのが少なからずあるような気がするんだよなぁ。
 「萌えるもの」=主に二次元美少女のようだけど。

 岡田さんの感覚だと「何か原典が一つあって、その他の展開は派生物という線引き」があるようだが、
 その作品自体のマニアではないから、いうなれば原典=萌える二次元美少女、って感じか。

 またひぐらしが例にでててアレはちょっと節操ない(というより制作側が意図してアニメも漫画もゲームも平等に原典らしくしている気がする)と思うから混乱の元になってるんじゃと思うんだけど、
 「原作の方がよい」とかそういうオリジナルと比較した論はまだよく見ます。「元はこうなんだけど~」的な。

・世代ギャップ、貴族主義、エリート主義。
 あーなんかこれすげーわかる。
 って感じで確かになぁと思った。

 本文中では、
  だいたい40代 …… 1980年頃のオタク …… 貴族主義
  だいたい20代後半から30代 …… 1990年頃のオタク …… エリート主義
  だいたい20代前半くらい …… 今の若い奴ら …… 純粋培養世代
 って感じで大ざっぱにくくってあるんだけどまぁこのくくり方はなんか反論のしようがないw
 俺らんときは「オタク=日陰者」が確定していてどこか後ろ暗いところがあったりとか、
 そういったことが影響しているというのは間違いない。

 で、「純粋培養世代」。
 すでにオタクが市民権を得ていて、青年~成年向けのアニメや漫画(エロい意味ではなくて)があふれていて、
 供給が需要を追い越すようないきおいで与えられている世代か。
 クリエイター嗜好がない、ともかかれているけど、どこか探せば好みのポイントが見つかる時代では、
 わざわざ作ろうという気概が削がれる、ってのはあるんだろうかなぁ。
 ブログやニコ動で手軽に発信できる時代でもあるし。
 人間、少しの幸福で十分生きていけるらしいぞとは誰の弁だったか。

 貴族主義やエリート主義の分け方とかについては反論できなくてむしろ吹いたw
 「あー……」みたいなw
 やるよね布教w空気嫁って感じのw最近はしないけどw

・一緒に成長してきたものがない
 俺ら(第二世代)の頃は、コンピュータとゲームの進化をずっと追ってきた。一つ前だと多分、世間の認識やマーケットの拡大がそのまま体感できたんだろう。
 さて今時はどうかというと、そういった「一緒に成長を実感できるもの」というものがあるのかなぁ。
 漫画、アニメは世にあふれて、ゲームはスペック頭打ち。リバイバルブームとかリメイクとかいって過去の名作を再ヒットさせるような状況。
 (いや、過去の名作を残すことは必要だと思うんですけど。)

 あえていうならケータイだろうと思うけど、あれもキャリア主導で実感は無いよね。
 「あーまた新しいの出たんだ」みたいな程度。

・俺の嫁の存在
 「俺たちのときはどんだけハマっても趣味は趣味(ただし人生掛けてる)だったけど萌えとかいってそれが恋愛感情になっちまってる! わかんねー!」的な叫びは俺も彼らがどこまで本気で「俺の嫁」とかいってるかわかんないんでアレなんですけど、
 痛車とか覚悟ハンパないと思う。
 もしくは悪ノリしすぎかなぁw
 なんかこのへんは本気で恋してるというより、一時の「平凡より個性的なほうがいい」みたいな風潮と相まって三次捨ててる俺キメェwwwwwみたいな自虐ネタのノリが生きてる気がするですよw
 真面目に考えると悩むしかなくなるというか我に返ると終了的なww

 でも若い頃は千鶴さんのことが頭から離れなかったり冬にアイスやたら食べたりするよね?
 もし一日の何割かをその人のことを考えてしまい眠れないとかいうのが恋ならあのころの俺は間違いなくモニタに飛び込みたかった<何

 
 まぁでも余談だけど、最近はそういう恋焦れるまで夢中になれるものは無いのかもしれんな。
 どことなく俯瞰的というか、声優や原画やメーカーやシナリオで作品を測っている節はある。
 もしも千鶴さんが俺の前に立ちふさがったら俺は彼女を止められるんだろうかとかそんな電波以外の何者でもない妄想が四六時中停まらないようなことはあんまりないよな。
 これが老いというものか。

・岡田は萌えが分かってないからオタクじゃない
 じゃあお前わかってんのかよというすっごくおきまりのツッコミいれたいのはまぁ置いておいて、
 岡田さんは分かってないというより「概念としては理解してるけど俺の趣味じゃねーよ」的なスタンスだと思う。
 てかオタクってのは気概であり気質であり生き様であるから分かってるからどうとか云ってる時点でもっと根っこの方から出直してきたほうがいいんじゃないかと思うなぁ。

 ……というのも結局、「萌えが分かってないからオタクじゃない」というのと同レベルに排他的という話。
 俺の考える定義と他人の考える定義は違うということを受け入れて、「まぁどっちにしろオタクじゃねーか」というところでおおらかなのが一つ上の世代だということだなw
 もともと趣味だから「~だからオタクじゃない」という意見が出てくること自体がおかしいという話でもある。
 そういう他者の排除の仕方は、「12月はクリスマスって考えないとおかしい」「夏は野球で盛り上がらないとおかしい」「流行のJ-POP知らないなんておかしい」とか、そういう一般人お得意の論調だったのにという。
 市民権を得てマーケットの対象になったときからもう排斥される側ではなくなった、ということなのかもしれないな。
 外敵が無くなり団結する必要がなくなると、今度は内乱が起こるという感じw

 まぁ、そういう話とは別に議論好きなところもあるので、何が萌えを分かってるというのか是非聞いてみたいですね。分かってないとかいう奴には。
 絶対領域とかニーソとか縞パンとか、ツンデレとかヤンデレとかまさかそんな即物的な話じゃないよね? よね?

・まぁ萌えってことでいうと
 この言葉が便利に使われだしてアキバにメイド喫茶が乱立しはじめたころから何かずれてきたような気はするなぁ。
 中央通り自重(エロゲーのエロいポスターが公道に堂々と展示すぎ)とか。
 良くも悪くも一般に認められ始めてて、みんな浮かれてたんだと思う。

・BLが引き合いに出されているけど
 萌えもBLも恋愛感情から性的嗜好に直結してアイデンティティに影響している点で、「いやそれは違う」とか「俺は違うから代表者ヅラすんな」とかそういうことが云いたくなる気持ちは分かる気がする。
 BLのことはさすがに俺もよくわからないので、笑い話の「カップリングが逆転したら喧嘩になる」とかそいうことくらいなんだけど(でもホントのことであってもおかしくないとは思う。だって新スクか旧スクかで論争始まるんだぜ。重要だろ?) (ちなみに俺はそもそもスク水よりもミニスカ+ニーソまたは黒タイツ、ょぅι”ょより13歳以上17歳未満のほうがいいかなって最近思う)(まぁエロゲーとかのょぅι”ょってほんとの幼女じゃなくて「非常に童顔で非常に頭身が小さい成人女性のロールプレイ」だと思ってるから「みぃんな十八歳以上だからね! お兄ちゃん!」ってのはあながち間違いではない)(閑話休題)
 「お嬢さん方の中からオタクを語るような人が出てこない」っていうのがこれに関係しているというなら、
 確かにもう「オタクってのは」ということ自体、ナンセンスな時代なのかもしれん。

・オタクは死んだ?
 そして最後に「もうオタク文化という道しるべはない。これからは君自身が君自身の道を歩むしかない。がんばれ!」。
 岡田さんのいう「オタク文化は死んだ」というのは「もう俺の理解を超えたよ」とも取れるような感じではあったがそういうことではなく、
 一つの時代の区切りとしているのではないかなぁと思った。
 あと、なんていうか「俺たちの仕事は終わった!」のような。

 最近はゲーセンの景品に普通にフィギュアがおいてあるし、ヒットチャートにアニソンが絡んでくることも珍しくないし、普通の書店でも漫画コーナーが充実しているし。
 店に行けなくても通販があるしケータイのコンテンツも充実しているし勿論アニメや漫画やゲームも多岐にわたって展開しているし、
 映画だってゲーム会社が積極的に絡んでよいものを作ろうとしているし、ドラマも漫画原作だったり芸能人がアニメ好きとかガンダム好きとか普通だし、
 
 挙げているとキリがないけれど、これらは岡田さんのような先達が、そして俺と同い年くらいの人らがじわじわと活動を広げ得た成果じゃないかと思うのは多分間違いじゃない。
 ここでの終了宣言は、「死んだ」なんていってるから絶望的に聞こえるんだけども、「これからはもう一つにまとまる必要はない」という意思表示であれば、そうなのかなぁと思う。

 ただ俺も古い人間かなと思うのは過去の牧歌的な話はやっぱりどこか懐かしいし、「文化」としての必須教養 ー アニメ好きならガンダム見とけ的な ー が通じなくなる、衰退するというのならどこか寂しい気はするなぁ。

 まぁオタクなんてなろうとおもってなれるものじゃないし、時代や生き様が変わってもきっとそのあたりは変わらないんじゃないかと思う。

・余談
 解説されてるSFの歴史をなぞるとあー確かに似てるなぁと思える。(そういう風に解説されてrんだからそうなんだけどさ)
 歴史は繰り返すってことかしらん。

投稿者 kagerou : 2008年06月17日 02:01

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