俺は残業をしたくない。ただそれだけなんだ。 – script life 千夜一夜

俺は残業をしたくない。ただそれだけなんだ。

 ここ数日、残業禁止から始まったADHDと働き方の話がエントリを賑わせているのですが、だんだん話が変な方向、というかこのまま行くと残業禁止上等勢とADHD勢の抗争で対消滅しそうな感じすらしてきている。それは使い潰してくる経営者以外は幸せになれない未来なのではと思って書いてます。書いてましたがだんだんただの愚痴みたいになっていった。まあいいかダイアリーだし。

スポンサーリンク
レクタングル (大)

どうして「効率悪くても勘弁してくれ」という話が燃え上がっているのか

 まず最初に火種となったのはこちらのエントリ。

 内容としては、その前に出てきた「長時間労働をする自由など必要ない」という残業規制賛成エントリ

に対して、「それは効率の良い(=安定して成果を出せる)ものしか生き残れなくなってしまうのではないか。それが本当によいことなのか」という話をしています。

 これについては個人的にはどちらも正しくて、どちらかがどちらかに合わせるようなものではない、自分にあった働き方が選択できればよい話だと思います。

 1日8時間で進めるのも、時間を掛けてやっていくのも、それが合ってる人はそうすればいいし合わない人がそうしろと言われたらつらい。というだけの話。(長時間労働は健康問題が絡んでくるので、またちょっと話が違いますけど)

 といいますか、一日のうちで仕事が捗る/捗らないというムラは普通のことですし、俺も正直休みたい…

 成果主義的な面から見て、8時間の仕事を8時間分の給料でいいから10時間かけさせてくれという話には一定の筋が通ってると思います。マジで。

 そして逆説的にそれは、8時間の仕事を6時間で片付けるから8時間分の給料をくれという話でもあり、成果報酬と裁量労働がまともに運用されるところであれば叶えられるのかなとも思います。

 ではなぜ、先の記事は燃え上がってしまったのか。思うに、自分のペースで仕事をするという話をするために、効率よく仕事を片付けて残業を減らそうと言う話をディスってしまったからみんなのハートに火が付いた。

 残念ながら今の日本社会は、8時間の仕事を10時間かけてやらせてくれというと10時間分の賃金が出て評価も10時間分にアップとか8時間の仕事だから10時間かかっても8時間分の賃金でいいというとホントに10時間かかる仕事も8時間分の賃金に値切られるとかそういうふうになってたり、付き合い残業スパイラルとかよくわからん割り込みなんかで押されて終わらない仕事の残業とかで疲弊してたりしましたので、そこに放り込まれた「長時間労働しないと効率悪い僕いきていけないんだけど?」っていうのは大変良く燃える薪でした。

 日本的職場においては実質的に時間給がスタンダードなので、そのあたりすっとばしてこの話をしても、「おー? 労働ダンピングかー? おー?」って反応になるのはある意味必然といいますか。

 そもそも、さらに元になってる日野氏のエントリは「長時間労働は害悪」という話なんですが、それが仕事効率厨の話にすり替わっちゃって効率厨が殺しにくるみたいになってるところがあるからまたこれ。

 ただそもそも愚痴エントリだし、「みんなも長時間労働しろ」と言っているわけでもないので、個人的にはうーん…、くらいの感じでした。

(しかし日本的職場で、こういう成果の埋め合わせ方をされると、周囲もそれに引きずられて長時間労働が蔓延してしまう、というのは結果論としてあると思うので、ちゃんとした体制や評価制度が整っていないとやばいとも思います。

 またこういう仕事の出力ムラについてのマネジメントとしては

の匿名エントリが、対応事例として大変良いと思いました)

そこに絡まってきたADHDというキーワード

 ここで、

から「ADHD」というキーワードが全面に出てきて。なぜか「残業絶対許さないマン VS ADHD」みたいな構図になっていきます。

 元の借金玉氏のエントリでは、「効率悪い(=安定してアウトプットできない)人」という大きさの対象だったのが、ここで一気に「ADHDの人」というところにまで狭められしまい、より攻撃しやすくなってしまった。

 そしてさらに、

という、反論してきた人をそれこそ「何も理解できてない敵」扱いで煽ってきてる。

(書き手の意図とは違うと思うのですが、私は読んでいてそう受け止めました)

 借金玉氏のエントリは、本質的には残業規制反対を望んでいるわけではないのですが、文脈としてはどちらかといえば反対くらいのものはあると思いますし、内容としても「自分は手が遅いのだから時間を掛けさせてくれ」という、日本の長時間労働の遠因となっているマインドもあり、それに対する批判がそこまで的外れとは思いませんでした。

 で、このあたりから話が違ってきてしまっていると感じているのは、最初の「時間を掛けても成果が達成できればいいでしょ」という話が、「ADHDだから勘弁してくれ」にすり替わっていってしまっていて、結果としてアウトプットにムラがあることが許されるのはADHDだから許せみたいなふうに見えてしまい、それこそADHDの方とその他みたいな対立に向かっていると感じています。これはちょっと良くないのではないでしょうか。

普通に残業したくないし気分がのらないときもあるねん

 ちゃうねん。

 別に効率よく仕事したいわけじゃないねん。早く帰りたいだけやねん。

 といいますか僕はADHDと診断されているわけではないのですけどアウトプットにムラがあるっていうのも別に時間かかっても間に合えばいいでしょっていうのも超よくわかる俺もそうしたい。

 そんな四六時中集中してられるかい。

 あの昼ごはん食べた後で眠気を我慢するだけの時間何の効率性があるのか全く理解できないが我慢していたりする。ちょっと寝たほうが絶対捗るんだけどねーみたいな。

 それから残業なし、19時くらいに家にいることができるとほんとできることが広がるから超おすすめだよ!

 ゆっくりアニメ見て本読んでブログちょっと書いたり調べ物したりしてもまだ21時とか22時とか。超捗る。

 批判のコメントしてた人達も、効率よく回せる自信があるとかじゃなくて、これ以上残業のネタが増えてたまるかって感じだったのではないか。

 日本の長時間労働の一因として誰かが残ってるから帰りづらいってのがやっぱりあるし、それが少数ならまだしも帰らないほうが多数派なもんだからそこにそれは地雷でしょうというか。定時の鐘が鳴っても聞こえてないのかってくらい誰もが平常運転ですからね。せいぜい俺がツイッターを堂々と見始めるくらい。

 だから願いとしては、裁量があって成果で測る評価というものがもっと普通になるといいなと思っているし、働き方としてもリモートワークみたいに場所にこだわらないものが普通になると嬉しいのですが。今はそういうのはそれこそマイノリティ、許されしもののみが選べる特権のように思えます。

 この残業規制とADHDの話の流れ、そのあたりが「ADHDのような特殊な事情があるから例外的に許される」みたいなところになっていきそうでそれは嫌だと思うのですよ。

 程度の差こそあれ時間にムラがあるのはそういうものだし、作業時間と成果が比例する仕事でないのならそういうところまで加味したマネジメント、作業環境が普通になって欲しい。

 なので、この話はADHDがどうとかではなく、本当の意味での裁量労働と成果主義の話、細かいこと気にせずにそれぞれがやりやすいように選択できる話になるとよかったと思うん。

 そもそもの長時間労働の話は、健康に害が出ていることなのでまた違う話でもあるのですが、選択できる多様性が認められるようになっていくと良いですね。

 あーあとですね、「給料いらないから残業させてくれよ!」みたいなこと言ってるとほんとに実装されるから。「残業代を気にせずに好きなだけ作業できるように、裁量労働とみなし残業を取り入れている」ってマジで言ってくるから。出社時間も定時も作業場所も作業内容も決まってる、サビ残する裁量しかないような状態になるから。迂闊に言わない方がいい。

 それから効率よく仕事が終わったら定時に帰るって話をしてるうちは残業絶対無くならないと思ってますよ。だって仕事が終わったら仕事が来るだけでしょ。仕組み的に無理だってはっきりわかんだね。

 時間になったら終わってなくても帰る、くらいまで意識と体制が逆転しないと、結局1~2時間残業することにはなるんじゃないでしょうか。1日1時間として20日の稼働だと月20時間。2時間なら40時間。ほらね?

 今はどのタイミングで辞表出してうさぎ島に行くか、がアウトプットのムラになってます。知的労働はほんと雑念が効率下げますねー。

スポンサーリンク
レクタングル (大)
レクタングル (大)
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)